「死」について その1
2004年6月12日 アミシュス人生論私は先日、旦那を亡くした。
いつかは迎えねばいけない事だけど、こうも早くその日がくるなんて、想像もしていなかった。
以前から、私は人の「死」について考える事が多かった。
それは、自分自身、自ら命を絶とうとして危うく命を落とす事になったという経験もあったからだ。
友人も3人、病気、自殺、交通事故で亡くしている。
そして、生きていく上で、これから先も、少なくとも何度か人の死と直面するんだろう。
「死」は、悲しく、とてつもない絶望感も時に覚える。
だけど、人間は生まれた以上、必ずいつか、死を迎える。
死ぬ事は、とても切ないけど、だからこそ、人は精一杯生きてみようとするんではないか?
ただ、不慮の事故、予想もしない突然の望まない死に対しては、これはただ単に「運命」として片付けるわけにはいかないのも事実。
だけど、皮肉にも、「死」を実感する事で、命の尊さに気づかされるのも事実。そうでなければ、人は人を思いやる機会をさらに失っていってしまう気がする。
生きている、ただそれだけで十分やりようがあるというのを感じていけるのは、少なくとも「死」を実感しているからで、避けたい現実だけど、なくてはならない事でもある。
いつかは迎えねばいけない事だけど、こうも早くその日がくるなんて、想像もしていなかった。
以前から、私は人の「死」について考える事が多かった。
それは、自分自身、自ら命を絶とうとして危うく命を落とす事になったという経験もあったからだ。
友人も3人、病気、自殺、交通事故で亡くしている。
そして、生きていく上で、これから先も、少なくとも何度か人の死と直面するんだろう。
「死」は、悲しく、とてつもない絶望感も時に覚える。
だけど、人間は生まれた以上、必ずいつか、死を迎える。
死ぬ事は、とても切ないけど、だからこそ、人は精一杯生きてみようとするんではないか?
ただ、不慮の事故、予想もしない突然の望まない死に対しては、これはただ単に「運命」として片付けるわけにはいかないのも事実。
だけど、皮肉にも、「死」を実感する事で、命の尊さに気づかされるのも事実。そうでなければ、人は人を思いやる機会をさらに失っていってしまう気がする。
生きている、ただそれだけで十分やりようがあるというのを感じていけるのは、少なくとも「死」を実感しているからで、避けたい現実だけど、なくてはならない事でもある。
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